砂鉄を集めながら・・・

鹿島灘の海岸を遊び場にすると、いろいろなものを目にします。ウミガメの死骸が流れついたり、クジラの死骸の一部が流れ着いたり・・・まあ、あまりまともなものは流れ着きませんが面白いものです。

先日は、砂鉄を取ってきました。鹿島灘の砂にはたくさんの砂鉄が含まれていますから、ちょっと強めの磁石を使うと、短時間でコップ一杯分の砂鉄が集まります。

かつては、鹿島神宮の近くでは製鉄がおこなわれていたようです。まあ、今も大きな製鉄所がありますが、そちらの製鉄原料は海の彼方から運ばれてくるのでしょう。

砂鉄の方は、生徒に約束した関係で・・・しかし、今度は本気で製鉄をやるのもよいかもしれません。理論的には可能で・・・小刀程度を作るのことはでききるかもしれませんね。

さて、砂鉄をとりながら何か落ちていないかとまわりをみると、ノジュールのようなものが落ちていたりします。例の生痕化石の類です。巣穴の中に貝殻とか詰まって、それがもとの砂岩の中から外れてできたやつとか、貝化石の石灰質がまわりの砂を固結させたりした塊です。

砂岩の穴ぼこがあいた不思議な形をしているものがあるわけです。この間、海が荒れたときには随分と出てきましたっけ。長野は小諸のあたりから遊びに出てくる人が喜んで拾っていました。

塩出しして、岩松を植えるとか・・・この、ノジュールの類は結構出てきます。含まれている貝化石などからすると・・・たぶん、上総層か何かでしょう。こいつがたくさんあるのは、鹿島港のあたりとのこと、ここを掘削する時に随分と出たらしく、港の周りに結構見らるというわけです。

私の遊び場の大小志崎のあたりでは、こいつの地層は見られません。

さて、この鹿島灘のノジュールの類は・・・海岸の後浜ってところにあるんですね。大雨が降ったり、海が大荒れになって、普段は波による浸食が起こらないところから出てくるというわけです。

面白いことに、このノジュールは柔らかな砂岩なんですが、硬質な浜の小さな小石が丸くなっているのに対して、これは面白い形で存在しています。

したがって、小学生に私が教える流水の三作用の影響をあまり受けずに存在し続けたということなんでしょう。

このところ、シュノーケルと度付きの水中メガネを使って、2〜3m程度の深さのところを眺めても、石ころは落ちてませんからね。このあたりが不思議なところです。礫が海岸にしかない・・・

海岸の私の小屋の井戸を掘ったときにも礫はほとんど出てきませんでした。まあ、6m程度の深さですからちょっとわかりませんが・・・とにかく、礫がほとんどないはず・・・

仲間の話では、鹿島港で砂利や砂の積み出しをしていて、それが海に落ちるとか?そして、鹿島港にはかなりの砂が流入していて、それを浚渫し排除しているとのこと。昭和50年代から浜砂の流出が激しくなり、大小志崎のあたりでも昭和54年ごろに護岸がなされ、テトラポッドが置かれ、ヘッドランドが作られて海岸の浸食から守ろうとしてきたあとが見受けられます。

結局のところ、海岸の小石や面白い形のノジュールも鹿島港からダンプカーに乗せられて、ヘッドランドの建設で作られたり整備された道を使って運ばれ、後浜を形成してきたところから流出していったものであると思われます。

小さな丸い小石の多くも、そういった経路で運ばれてきたものなのかもしれません。人間の営みは結構な量の砂を鹿島港からずいぶん遠方まで運ばれているような感じです。

しかし、今年も浜の形がずいぶんと変わってきたような?そろそろ、砂を運んでくる時期が近付いてきたのかもしれません。

ヘッドランドを作っても、砂の流出が止まらないようですから、ヘッドランドのおかげで砂浜が涵養されているように見せるために、砂を運び込んでいるのか?それとも、単に鹿島港の浚渫で出てきた砂を捨てに来ているのか?

とにかく、この砂鉄の多い砂はどこから供給されてきたのでしょうか?利根川か?それとも那珂川か?成分を調べれば・・・那珂川だと砂金があるかも・・・とくだらないことを考えながら砂鉄を集めていたというわけでした。
2007.08.23

  

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