Friendという言葉 ふと,馴れ合いとフレンドリーとか友達感覚という言葉が気になりました。なんだか日本語の友達と英語のfriendの間にはちょっと違いがあるような?そんな気がするのです。 そして,フレンドリーな先生と,友達のような先生というのはぜんぜん違うような気がしてきました。なんだか訳語の関係で,内容を正しく理解していない人もいるのではないかと思われるような気がします。 日本語の「友達」を国語辞典で調べると,「互いに心を許し合って、対等に交わっている人。一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人。友人。朋友(ほうゆう)。友」だと,英語のfriendと意味がぜんぜん違うような気がします。 英語のfriendの語源そのものに「愛」が含まれています。古英語のfrondはfrijon愛するに-ondがついて,現在分詞名詞用法となり,愛する者ですからね。 良くない知人という意味合いでは絶対に使えそうもない言葉なんでしょう。実際の熟語的な表現の中でもfriendは次のような物があるようです。 The dog is man's best friend. 犬は人間の最良の友である Everybody's friend is nobody's friend. 皆の友だちはだれの友でもない;八方美人に友人なし A friend in need is a friend indeed. まさかの時の友こそ真の友. a friend of freedom 自由の擁護者 a friend of labor 労働者の味方 friend of the court 法廷助言者 You will always find a good friend in me. いつでも力になってあげます have friends in high places 有力なつてがある. make friends (with a person) (人と)仲よくなる. my honourable friend ((英国議会での呼びかけ))議員閣下. my learned friend ((英国の法廷での弁護士同士の呼びかけ))博学なる友. 日本語の友達というのとちょっと違った趣があるような気がします。あの村会議員と友達なんだ・・・なんって言うと,ちょっと怪しげな関係ですからね。きっと悪事の相談なんでしょう。 真の友なんですね。フレンドリーな先生の意味合いとしては,自分たちを守ってくれ,どんなときでも親身になって行動してくれる,裏切ることのない先生という意味合いで使われるのでしょう。 決して馴れ合いどころではないですね。しかし,友達のような先生だと,互いに心を許し合って、対等に交わっていて一緒に遊んだりしゃべったりする親しい先生になってしまいます。 案外,教師はこれからの時代,フレンドリーでなければならない,かつてのような強権で教室を支配していた時代は終わった。これからはフレンドリーに友達のような先生が求められている!と誰かが論じ,それを聞いた人が・・・・互いに心を許し合って、対等に交わっていて一緒に遊んだりしゃべったりする親しい先生でなければならないのか?なんって思ったのかもしれませんね。 力になってくれる,擁護者で,味方で,助言者で,尊敬の対象となる裏切ることのない人間としての先生というのが,正しい訳ではなかったのか?と思うわけです。 こういった人間と身近に接する機会があればよいものです。そしてその人から友と呼ばれる光栄を受けたいものです。私にはFriendはいるのだろうか?なんってちょっと思ってしまいました。友達はいますがね。 |