軍事遺跡

ゴールデンウィークは・・・雨がちで、外で遊べない日々が続きました。まあ、車では出かけられるので、海岸の小屋の近所をぶらついたりしました。

先日、仲間との話題の中で、陸軍飛行学校なるものが、近くにあったとか・・・そんな話を耳にしました。まあ、一応の知識は持っていましたが、現地確認をしたことがなくて・・・ちょっと眺めてきたりしました。

実際に行ってみると、広大な畑が広がっているだけの場所で、滑走路などは確認できまえんでしたが、たぶん、長い直線道路がかつての滑走路の跡なのかな?とか、慰霊碑を眺めたり・・・

以前に昭和20年代の航空写真でチェックした、無蓋の掩体などが残っているかとちょっと好奇心というわけです。

小雨の中、車を走らせ目的地へと向かいます。結果としては、慰霊碑を確認、滑走路のあったあたりを一回り、掩体はわからず・・・まあ、車上から眺めるだけですから、ちょっとわかりません。

まあ、航空写真から、地図を起こして、掩体などを現在の地図に移す作業をすれば確認できるかも知れませんが・・・まあ、ちょっと面倒、小屋へ戻ってきて、航空写真を眺めるわけですが、遊んでばかりいるわけにはいきません。

貴重な電力ですからね。プリント類の作成に力を入れなければなりません。幸い、しばらく電力を使わないで温存してきたのと、バッテリーを増強していましたから、かなり余裕はあるようなんですがね。連休は続きますから・・・

さて、翌日も目覚めると雨です。仕方ないので、今度は海軍基地です。北浦海軍航空隊のあった場所の見物です。こちらの場所は、確認済みですから、単に行くだけです。

現在も、水上機を湖面に降ろすためのスロープが残っています。

これ以外の施設はなさそうです。手元の資料ではおよそ900名程度の隊員がここで活動していたようですが、その遺構はありません。

さすがにコンクリート製のものですから、風雪に耐えて存在しています。ここは滑走路を必要としない水上機の基地です。しかし、かつては大きな格納庫が立ち並び、威容を誇っていたと思われます。昭和22年の航空写真に格納庫の残骸や弾薬庫のまわりの土塁などが確認でき、主な建物もある程度は位置が確認できるので、簡単なやっつけ仕事をしてみました。

ただ、かつての建物は残っていないようです。

茨城大学水産試験場があり、そこの碑文には「昭和十九年五月三日、四日、皇太子殿下には学習院初等科第五学年で学友五十五名と共に当海軍航空隊を御訪問飛行訓練など御見学なされ御宿泊になりました。」との文面がありますから、結構立派な施設であったと思われます。

およそ、50町歩の敷地ですから、結構広いものです。

鹿嶋市内には、もちろん神之池海軍航空隊の跡が存在しています。こちらはコンクリート製の掩体壕が残っています。さすがに、港湾施設や工場になっていますから、のんびり走りまわるわけにはいかない場所ですから、ちょっと面白みに欠けますね。

まあ、大したことのない、歴史研究というわけです。鹿嶋灘には、江戸末期の海防施設なども作られていたはずですから、ちょっとそういったものもチェックしてみるのも面白いかと・・・

暇があれば・・・と思うわけです。
2008.05.06

  

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