お勉強と極地法

お勉強の、最も有効な方法というのは、登山に於ける極地法なるものではないかと、常々思っています。まあ、単純に基礎固めですね。

長期間にわたる登山の場合、燃料や食糧・水、生活物資が大量に必要になります。ですから、前進基地を設けて、そこに物資の集積を行い、補給線を伸ばして、目的地に至るという方法です。もちろん、同じ場所を何度も往復することになるので、道も徐々に整備されるという、システムですね。

まあ、目的地まで道を固め、生活物資が滞りなく送られる状況を作り出すというわけです。まあ、大勢で出かけて物量にものを言わせ攻略するという単純明快な方法です。

アメリカのフロンティアもこういった方法で西漸されていきます。例の、オレゴン街道などはそんな奴ですね。

オレゴン街道は、ミズーリ州インディペンデンスから出発し、大平原、ロッキー山脈を越えてオレゴン地方に至る約3200kmの道のりですね。こいつを踏破するには・・・まあ、移住のために進むわけですが、4ヵ月から半年かかったと言われています。道としては、1820年ごろから知られていた道ですが、本格的な移住のために利用されるのは、1841年以降で、特に1843年になると1000人以上の人々を単位として、幌馬車隊を組んで、大集団による移住が始まり、このコースを有名にします。このときのノウハウが、更なる大規模な移住を実現していくことになります。

まあ、どうすれば効率よく人間を目的地に届けられるか?それですね。しかし、4か月間の旅ですから結構大変でしょう。幌馬車隊の組み方や野営の方法、食料や飼料の集積と補給、それに必要な道具類等に関する経験が・・・案外、第二次世界大戦での連合国の勝利に導いたのではないかと思われてなりません。

目的のためには、十分な物資を送り、円滑に移動し、そこを開拓する。精神論ではなく、現実にものを動かし、実行することでは重要なことですからね。

算数の学習なんか、まったく同じようなものですね。四則計算は食料や燃料に相当しますね。たとえば、馬と幌馬車を用意したとしても、飼葉を用意しなければ、進めませんし、人間用の食料や水がなければ進めません。

もちろん、道だって・・・誰かが作り、それを維持しなければなりません。私の庭にも、同じ場所を歩くために道ができます。それと同じように、後に続くものが、先人の残したものを利用し、発展させることになります。

ですから、問題文を読み取り、それを式に立てたとしても、計算力がなければ、それを実施し、正解に導くことはできません。その逆もまた真です。四則計算は完璧だけど、文章理解が劣り、式が立てられないと、そこいらに置きっぱなしになっている電卓のような状態です。

利用されることなく、朽ち果てることになるのでしょう。

従って、順序としてはスキルとしての四則計算がしっかりできること、年齢相応+αの読解力を持つことが重要です。読解力は・・・物語文ではなく、説明文!ですね。

物語文なんって、会話文にきわめて近いですから、習わなくても読めるようになりますからね。説明文は・・・大人になっても読めない人が随分といますから・・・

結局のところ、算数などは四則計算が電卓を使わなくても正確にできるスキルを身につけることのための練習と、算数特有というか、いい加減な日本語の中で、ちょっとはまともなカッチリとした文体がきちんと読み取れるために、一つ一つの文章題に当たって、一つ一つ確実なもになるように、練習し、先に進むといういことに尽きるような気がします。

しかし、日本語の不完全さを考えると・・・そろそろ、日本語の改革でも行わないと、日本語も案外、過去の言語の仲間入りをしてしまうのではないかとちょっと危惧してしまいます。
(2008.04.07)

  

inserted by FC2 system