日本のチームは勝てないや!

久しぶりに、朝起きてTVをつけてニュースを眺めると・・・スポーツ選手のインタビューが流れていました。そこで、ああ日本だ・・・日本はこれだから勝てないんだ・・・ということを耳にしました。

あいつとは、ずっと以前からやっていますから、アイコンタクトなしでフォーメーションプレーができるんです。まあ、そんな類の話でした。これって・・・勝てないのでは?特に、技がさえて、寸分の狂いもなくフォーメーションプレーをやったらってね。

何しろ、フォーメーションって・・・攻撃または防御の際の選手の配置や、その配置からの展開の型を言いますから、フォーメーションの展開が重要ですね。アイコンタクトすらしなくてできるフォーメーションって?

当然のことながら、突発的な事柄に動ぜず、既定の技をこなしていくことになるというわけです。型にはまった攻防はそれが、いくら優れていても、返し技を考案され、実施された瞬間に負けが決まってしまいます。

まあ、試合時間が十分に残されていれば、技が破られたあとの対処の仕方で、挽回も可能でしょうが・・・まあ、信頼していた技が破られた時の動揺は大きいので、気が小さいと挽回は不能になるのでしょう。そして、みじめな敗北へとつながります。

スポーツでフォーメーションよりも、基本動作の反復が重要なのは、どのような場合でも臨機応変な対処が可能なように、基礎動作の完璧さが要求されるということなんでしょう。基礎動作が完璧なら、あとはちょっとの頭があれば、それを素早く組み合わせて、バラエティーのあるフォーメーションが組めるということになるのでしょう。

そう、フォーメーションとは基本動作だけではそのバラエティーが乏しいので、戦術が見破られてしまうので、組み合わせを複雑にすることで、破られない、応変な陣を形成することにあります。

変幻自在さは、個々のプレーする選手ではなく、頭脳、つまり采配者にあります。有能な采配者を戴いても、その意の添えないのであれば、勝てるチームは作れないということなんでしょう。

選手を信頼して、選手に任せるのは愚の骨頂ですし、選手を信頼せずに、選手を無視した戦略も愚の骨頂です。

スポーツに限らず、学問分野でも同じことがいえますね。算数などその典型です。基本動作に相当するのが計算力です。そして、問題というディフェンスを破るために読解力が要求されます。ディフェンスを破るためには、読破が必要ですからね。読破は読み終えるのではなく、読んで内容を把握し、その思想を我がものとして活用できる状態にすることです。

読めても、計算が自在にできなければ、正解に至らないし、計算の技と、パターン問題を読破することなしに解く技を持っても、それは無力なのと同じです。読破のためには、主語述語・指示語などがきちんと読み取れるための反復練習をしなければなりません。

そういった基礎動作を無視して、技によって問題にチャレンジしても、技が冴えれば冴えるほど、その技はワンパターンに陥り、破られ易いものへと、変貌していきます。

時の流れの中で、新たな技を生み出せなければ、一世を風靡したとしても、それは一抹の夢の時期にすぎなくなっていきます。以前は、名人と呼ばれたけれども・・・今では・・・という風になるのでしょう。

日々研鑽し、基本を充実させている人には、付け焼刃では対抗できないのですからね。日本の教育もどうなる事やら?基本を軽視して、技を磨くとろくなことはないのですがね。
2008.01.30

  

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