教育再生を考えると・・・

教育か・・・何やら教育再生なんってスローガンがありますが・・・何かを学ぶということは、一応楽しいことのはずでは?なんって思います。

何かを学び、学んだことが使えればそれは大きな喜びになるんだと思います。算数が面白くないのは?そりゃ、電卓のある世の中で、筆算をする、九九を覚える、桁数の大きな数を間違え間違え計算するなんって、やりたくないですね。

でも、数を把握する上では必要な作業です。つまり、電卓でやるより面白くなければならないわけです。桁数の小さな計算は電卓より暗算が速い部分があります。

キー操作も熟練が必要ですし、キー入力するのにかかる時間は結構かかりますからね。電卓でやるより速い計算を重点的に練習させるべきです。計算の基本原理が理解できれば良いわけです。

まあ、入試会場に電卓が持ち込めませんから、面白くなくても実利としての計算の存在理由がありますけどね。

問題文が面白くありませんね。君は社長です!今月の売上は200万円で支出は230万円でした。いくらの得ですか?損ですか?なんって良さそうです。会計学の内容を小学校レベルの計算に置き換えるのも良いかもしれません。社会活動は金で動いている!

金を計算できないものは、貧乏になる・・・なんって良さそうです。

家計・・・利息・・・社会的なものがよさそうですね。

問題文が、実生活から遊離したものであれば、それは理解しがたいものになり、それを理解しても何になる・・・と投げ出すわけです。

相似や比なども、家を建てる・・・そういったことを考えると面白くなるかもしれません。所詮、算数は道具です。数学になると、それなりに学としての意味を持つようになりますがね。

久しぶりに商業簿記でも勉強しますかね?

大学は出たけど・・・大学って研究者の養成機関なんですから、職業教育は施さないはずです。しかし、大学を卒業して、社会のエリートとして・・・のはずですが、やはり新入の平社員から始まるのですから・・・目的が違う・・・商業学校の役割では?さてさて・・・初等・中等教育そして、高等教育に必要なことが見えそうな?

さて、指導要領を基本に、身近な夢のあるものへ展開できるかが、教育の再生につながるのでしょう・・・そういえば、大学や中庸などの古典も、水分と長い生命を保ちました。その理由は、それぞれの時代の様子に適合するように講義した多くの師が存在したからでしょう。

人間の根本にあることは・・・今を生きること、より良い未来を作ることなんでしょう。それを忘れなければ・・・それを理念として、常に考え、対応できる精神を養うことを中心に組み上げる必要があるのでしょう。

さて、どんな理念をもって始めましょうか・・・根幹になるものは、トレンドに流されることのない、永遠の真理でなければなりませんからね。
2007.10.19

  

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