問題演習が勉強と思う生徒がいる・・・

長い間、理科を教えていますが・・・なんとなく、この何年かちょっと奇妙なことを感じます。問題演習を中心に学ぶ生徒が多くなってきています。問題演習は必要ですが、問題演習は最後の仕上げに、問題の読み方のポイントを学ぶものであると考えていましたが・・・

近頃では、入試問題集が世の中にあふれているために、どうもそれが中心になるようです。これって非常に危ない学習のような気がします。

例えば、難関校の筑波大駒場などは、選択肢が・・・文選択です。これって、理由があるのでしょう。多分、技や問題演習に頼らず、きちんとした知識の積み上げのある生徒を選択するための手段では?なんって思うわけです。

植物が養分を作る活動のことをなんと言いますか?・・・光合成

この手の単純な問題ではありません。植物の養分を作る活動を説明した文として、正しいものはどれですか?こういった問は、誤文の排除条件が非常に多岐にわたります。

例えば、「根のやがて側根になる根毛から吸収した水と、空気中の二酸化炭素を原料にして、養分を作る活動。」光合成を聞いていますが、排除条件として、根毛は側根にはならないという知識を問うことが可能になります。

正しい知識の積み上げの上に培われた学力であれば、こういったものを見抜けるのでは?ですから、当然知っていなければいけない内容を、文の中に盛り込まれた場合、問題演習とその間違い直しを中心とした学習では、安定した正答率を稼げないような気がします。

まあ、そのあたりが上位校の上位たる所以なんでしょう。

確かに、上位の学校に合格する生徒は緻密な知の体系を望むことが多いようです。知り、自分の頭の中に知識の体系をくみ上げることが好き・・・そういった特性を持っているのでは?そのため、そういった生徒の質問は、本質を突いた良いものであることが多いようです。

それに対して、問題を解くことを主眼とした学習をすると、愚問を発することがありますね。その問題の一番重要な部分が見抜けず、そんな条件でよいのか?なんってね。

そういった問題は、入試問題を出版している会社の解答解説にも現れてきます。数社の解答解説を見る場合がありますが、出版社で解答が異なっている場合もあります。

つまり、きちんと体系だった知識を持たず、問題を解こうとすると引っかかるわなのようなものなのかもしれませんがね。さて、問題は・・・体系だった知識を身につけようとせず、問題演習に走る生徒ですね。

こうなると、文選択問題の高級な設問を量産しないといけないのかもしれません。ちょっと、試作してみるのも面白いかもしれませんが・・・手間がかかりますからね。さて、対策は見つかりましたが、ちょいと厄介な結論です。

しかし、一念発起して作れば・・・毎年使えるわけですから・・・悪くないかもしれません。

2007.08.01

  

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