入試問題を眺めていると

近頃の中学入試の理科の問題を見ていると,なんだかちょっと空恐ろしい気分になることがあります。日本の科学教育はどうなるのだろうか?この疑問です。

まあ,日本が単なる生産技術の技で今後も世界の産業をリードできれば良いのですが,そうでなかったら?というものです。

近頃の理科の問題は異常なほど高度な問題が出題されています。まるで,高校の教科書の例題のような問題というか,例題そのものといえる問題が出題されています。

ふと,これを小学生に解かせるとなると・・・まあ,解けるように教えるわけですが,教えた後はどうなるのか?小学生で高校の内容のかなりの部分を先取りさせるわけですから,基礎の部分がかなり端折られます。そして,ある程度の飛躍を教えることになります。

科学というものは,やはり,論理の積み重ねの先に体系として存在するものだと思うからなんですね。体系を細切れで教え,それを活用させて解かせるとなると・・・無理を感じます。

ある意味,行き当たりばったり,解法のテクニックの集積という感じですから。体系が欠けていますから,ちょっと使わないでいるうちに,記憶の淵に沈み,やがて分解してなくなってしまいます。

まあ,学校教育の目的が,大学入試で合格することになってきていますから,仕方ないのかもしれませんが・・・・このところの未履修問題もそのひとつの表れのようですからね。

さて,以前に話題になっていた生活能力とか?生きる力を高めるための学習だっけ?・・・とにかくあれはどうなったのやら?

生きる力を高めるための学習って,今ある知識をベースにして,それを状況に応じて発展させ,問題解決をするための能力であるのだと思うわけです。

この能力を養うためには,単なる技ではいけないわけです。型にはまった技では,現実の生活の中で起こる,さまざまな状況に対応できる場面の方が少ないわけです。

小手先の業ではなく,本質を理解した上での技であればそれは,その場の状況にあわせたすばやい対応ができるというわけです。

大学で出題される入試問題が変化すれば,大学をとりあえずの頂点とする勉強の方針が変化するような気がしますがね。まあ,大学も,学問の府という雰囲気はなく,就職のための一通過点の感が強まっていますが・・・

案外,これからの時代は,職業に直結した学校が現れるかもしれませんね。幹部職員を養成するための小学校から大学までの一貫した企業を運営母体とする学校とか・・・まあ,どうなることやら?ちょっと気になるこの頃です。
2006年12月8日

  

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