古事記の研究?

このところ、気合いを入れて、古事記を読んでいます。この古事記って書物はなかなか考えさせられるものです。

この書物が成立したのは、712年、和銅5年ですから、ずいぶんと昔の話です。この頃は、たぶん紙や筆墨は高価なものだったろうと思われますし、漢文つまり外国語を自由に扱う能力だって極めて高価なものであると思われます。

そうなると、荒唐無稽な話を筆記するなんって無駄なことはできないと思われるわけです。高価な代償を払ってまで成立させる必要があったものは何か?なんって興味を持つわけです。

まあ、壬申の乱のごたごたをきれいに片づけるための思想的な柱として考えたのかもしれませんがね。

そして、荒唐無稽な話なら、それを読む人は納得しませんから、神話のようにみえますが、実のところは、当時の人たちが信じた皇統やわが民族の出自に関しての情報が盛り込まれ、読む人は、それなりに納得して読んだのではないかと思われるわけです。

まあ、古事記は教材であると考えるなら、それなりの読み方をしてやらないといけないのでは?なんって、教材執筆者としては考えてしまうというわけです。

さて、古事記ですが天武天皇が稗田阿礼に色々と調査させ報告させたような感じです。おもな聞き手は天武天皇ではなく、取り巻きの女性たちではなかったかと思われます。なんとなく女性が好みそうな話が多いですからね。

天武天皇は、稗田阿礼に命じたものの、編纂には至らなかったのは、天武天皇の関心が移ってしまったのでは?なんって思えるわけです。そして、三十数年後、元明天皇の命令で、大安麻呂が文章化したということのようです。阿礼は女性という説もありますが、舎人ですから、男性であると考える方が良いでしょうし、わざわざ、大安麻呂が名前を挙げているところから、この阿礼は権威づけとして使われているのでしょう。

大安麻呂は美しい文を書けるかもしれませんが、阿礼は天武天皇の個人的な歴史顧問的な役割をしていて、それが広く上層部の人々に知られていたから、舎人の身分のものの名を、残したのではないかと思われますからね。

さて、それでは、ちょいといい加減に、古事記を読みなおしてみることにしましょう。まあ、気が向くところまでですがね。
2008.03.03

  

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